ひねくれ者の頭の中日記

人と違う視点を持った”ひねくれ者”のブログです。

私よりもひねくれている人を見つけた。

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている

 

 

これほど興味深いタイトル出会ったのは久しぶりでした。

この本の中に書いてある内容1つ1つに多くのことを考えさせられました。

人間には、変えることのできない思考のシステムが内蔵されていて、それを利用しないことには成功することはできないようです。

気になる方は是非読んでみてください。

ただし、内容を全て鵜呑みにするのは本末転倒です。著者自身にも大きな”錯覚資産”があるのですから。(この錯覚資産が、この本の一番のキーワードです。)

https://www.amazon.co.jp/人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている-ふろむだ/dp/4478106347

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この本の著者は、ふろむださんという方です。

多くの人が気付くことができないものごとの本質を理解し、それを言語化する能力に非常に長けています。羨ましい限りです。

少しでも時間のある方は、ふろむださんの思考に触れてみてください。

学校での勉強は将来役に立つのか

またも不登校ユーチューバーゆたぼんが名言「漢字なんてググったらええ」 反論できないグダグダな大人たち - 記事詳細|Infoseekニュース

最近不登校Youtuberが話題になっているようですね。

学校に登校せずに、動画を投稿していることに対して、多くの批判の声が寄せられているようです。

私自身、他人と違う思考や行動に対しては、非常に興味がありますし、一概にこの行為がいけないといったように批判するようなつもりもありません。

ただ学校に行く意味を見出せなければ、不登校になるのも仕方ないですよね。

今回は、学生の多くが抱く「学校の勉強は将来役に立つのか」という疑問に対して、少し変わった視点から考えていきたいと思います。

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知識としては役に立たない?

知識として役に立つことは…

あまり多くはないですよね(笑)

日常の中で、古文を読解することもなければ、面積や角度を求めることもない。

漢字や加減乗除などの基礎知識は今でも使いますけどね。

 

 

学ぶという行為そのものに意味がある?

学ぶという行為は大人になってからも重要な行為ですよね。

特に新卒の社会人は、自分が全く知識を持っていない分野に飛び込むことも多いですし、周りの友人も働き始めて最初の何年かは、久しぶりに本気で勉強をしたと言ってましたね。

でも学ぶだけなら、学校でなくても良い気もするか…

 

 

才能の発見の場

学校でいろんな教科を学ぶことで、自分の新たな興味に気付けますよね。

一人ひとり得意教科も異なれば、興味のある分野も違います。

様々な教科や分野を学ぶことで、自分の”やりたい!”や”できる!”に気付くことができるという点では、学校での勉強はとても重要な役割を持つのではないでしょうか。

(得意・不得意をなくして何でもできるようにする!なんて必要はないと私は思います。)

 

 

特殊な環境での学び

学校で学ぶのと家庭で学ぶのとでは、周囲の環境が全く違ってきます。

学校では、自分と趣味趣向の違った多くの生徒と同じ空間を共有しなければなりません。

その中で、グループとしての課題解決を求められますし、例え学習形態が個人であったとしても、自分の周囲には自分と違う誰かがいるわけで、集団としての行動や協働が求められる社会において必要な能力が、身に付けられるのではないでしょうか。

(重要なのは、集団において自分の能力を発揮するための能力であるので、生徒全員と仲良くすることではないと私は思っています)

 

 

ものの見方・考え方

そして、一番大きな学校での学習の効果は、学ぶ過程にあると私は思います。

学校での勉強において、ほとんどの場合、課題が提起されます。

テストや宿題、学習の目標といったように、自分たちが学びを通して課題を解決しなければいけない状況に、生徒が置かれます。

この課題を解決する過程で、調べたり、工夫をしたり、視点を変えたりすることが、将来大きな武器となるのです。

 …

例えば、数学で複雑な線の交わりの中にある図形の面積を求める問題を解くとしましょう。

どの公式を使うかで、自分の知識から問題を解くのに必要な知識を取捨選択する。

どの公式を組み合わせるかで、問題を解くまでの思考回路を計算し、行き詰まったら違った角度から数値を導き出す。

仮にわからなかったとしても、どこが間違っていたのかを見つけ、自分に足りないものを手に入れようとする。

日常から意識して、このような学習の過程を踏んでいれば、ものの見方・考え方は、どんどん磨かれていきます。

 

 

東大生たちのものの見方

私が最近ハマっているものが、QuizKnockというものです。

偶然にも話がYoutuberに戻ってきました。

QuizKnock

QuizKnock - YouTube

このチャンネルでは、東大クイズ王としておなじみの伊沢拓司さんらが、クイズの動画を配信しています。

東大生たちがクイズをやる動画なんて堅苦しいと思いますよね?

でも見てみるとビックリするくらい面白いんです。

そしてそこにあるのは、”ものの見方”の面白さなんです。

 めっちゃ頭使うクイズ考えたwwww - YouTube

一度動画を見てみてください。クイズが苦手でも十分楽しめます。東大生たちの発想の豊かさ、面白いものの見方を楽しんでください。

おそらく彼らは、ただ知識を入れるためだけに勉強をしているわけではないと思うのです。

勉強に熱心に取り組んできた人であればあるほど、さまざまなものの見方ができる可能性が広がると私は思います。

(ちなみに私は、ふくらPと須貝さんが大好きです。)

 

 

学校で勉強をする意義

  • さまざまな教科に触れることで自分のやりたいやできるに気付くことができる
  • 集団においての行動力を身に付けられる
  • 学習の過程でものの見方や考え方を変化させることができる

これが私自身の経験による学校で勉強をする意義です。

あなたは「学校の勉強は将来役に立つのか」というこどもの疑問に答えることができますか?

 

結果が出たのは運が良かっただけ

「運が良かっただけですよ」

人から褒められたとき、決まって私はこう言う。

嘘じゃない。謙遜しているわけでもない。

 

 

… 

 

 

「努力は裏切らないって言葉は不正確だ。正しい場所で、正しい方向で、十分な量なされた努力は裏切らない。」

私の尊敬する林修さんの言葉である。

私はこの言葉に異論はない。

しかし、ここでいう「正しい」とは何をもって判断するのか。

 

ここに、私が「運が良かっただけですよ」という理由がある。

私が「正しい」と思ったことが、本当に「正しい」かどうかはわからない。

その点で完全に私は、運まかせなのである。

 

 

もちろん何が「正しい」かを考えながら日々行動する。

効率の良い仕事方法を探す、専門分野の知識を学ぶ、最新のニュースを取り入れるetc.

しかし、現代の社会構造や科学は日々進歩を続け、「正しい」ことなんてどんどん更新されていくのである。

だから、諦めている

 

 

という話ではない。

何が「正しい」かがわからないからこそ、「正しい」と思うことを全てやる。

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その結果、

「正しい」ことができていれば、結果が出る

「正しい」ことができていなくても、正しくないことは何なのかを学べ、次の行動の判断材料になる

 

 

私は、「正しい」と思うことを全てやるからこそ、

成功したことは運が良かったからだと思えるのだ。

そして、失敗を運のせいにする人は、あてにならない。

悩んでいる人へ、~悩みを他人に預けよう~

“悩み” ってそれほど “悩み” ではないよって話です。

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私の性格はポジティブでもあり、ネガティブでもあります…

もうひねくれてますね。笑

  

このポジティブネガティブはごちゃ混ぜになっているわけではないです。

ちゃんとどういうときにポジティブとネガティブになるかがわかります。

 

自分のことに対しては、ネガティブ

他人のことに対しては、ポジティブ

に物事をとらえる傾向が私にはあります。

 

・・・

 

例えば、友人と11で会話していたとしましょう。

  ネガティブの登場です。

私はどうしても、相手の様子を伺いながら会話をしてしまいます。相手の表情が少し険しくなった時、自分が相手を不快な思いをさせてしまったのでは?とよく考えてしまいます。

そして、会話の中では相手の悩み事を聞いたりすることがあるでしょう。

 こうなるとポジティブのターンです。

その悩みに対しては、相手の現状に対してとても前向きにとらえてアドバイスできるのです。

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ゆえに私は他人からの悩み相談をよくされます。

私の意見を聞くとなぜか前向きになれるようです。

かといって自分自身そこまでポジティブではないなと思ったときに、自分と他人の境目でポジティブネガティブが切り替わることに気付きました。(すべての場合にそうというわけではないようです。あくまで傾向)

 

 

 

ここで思うことは、 “自分と他人の悩みの大きさがたとえ同じだとしても、自分の悩みの方が他人の悩みより大きく感じられる“ ということです。

言い換えると、他人には自分の悩みが小さく感じられるということです。

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実は、私はここ数か月前に大きなミスを犯してしまいました。

その時にまわりにいた同僚が、揃いにそろって前向きな言葉をかけてくれました。

慰めてくれることに対してのありがたさと同時に

「この苦しさは誰も本当はわかってくれていない」

という気持ちにもなったことを覚えています。

 

でもそれが自然なのです。むしろそれでいいのです。

こういう時こそ、周りの力を借りるのです。

自分でポジティブになれない代わりに、他人にポジティブになってもらうのです。

 

あなたの “悩み” は、あなたの友人や同僚にとって “悩み” ではないのかもしれません。

悩んでいる人は、一度悩みを他人に預けてはどうでしょう。

 

 

 

読んでくれる人が増えてきたら、さらに面白い発信をしていこうと思います。

興味のある方はTwitterの方も覗いてみてください。

ねじれ先生(ひねくれ者ブログ) (@nejiresensei) | Twitter

私、ひねくれ者です。

”ひねくれ者”

 

皆さんはこの言葉にどのような印象をお持ちでしょうか。

私は自分のことをひねくれ者だと思っています。

本当にそうかはわかりませんが、人と違う考え方を持っているということを

実感することが日常の中でよくあります。

 

 

 

 ひねくれ者ってなんか面倒くさいですよね。

 自分の世界観が強いし、そのうえ頑固だし…

 

 でも良いところもあると思うんですよね。

 他人と違った視点から物事を見れて、面白いことに気付くことがあったり…

 

 

 

このブログを見て、ひねくれていない皆さんが、

ひねくれ者から面白い視点をどんどん盗んでいってほしいんです!

 

そして、ひねくれ者の皆さんと互いの良いところを指摘しあいたい!

っていうような感じで、日々の中で考えたことを書いていきたいと思います。

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